社畜を なめるなよ!! +α

ゴールなんてない 世の中のイマをノリと瞬発力で生き抜くためのブログ

好きすぎてつらい状況への考察と対処法

スポンサーリンク

「…はぁ。好きすぎてつらい。」

言っておくが僕は恋に恋する17歳でもなければうら若き乙女でもない。

 

一般的な定義からすれば自他ともに認めるオッサンとやらである。

…カタカナにするとやけに痛々しいので当記事内では「おっさん」と、そう表記することにする。

 

今回の記事は誰のためになるでも無く、ただただそこに並べられた僕の頭の中の一部なので興味の無い方はどうぞスクワットでもやっていていただきたい。

 

さて、

前置きはこのくらいでじゅうぶんだろう。

ちなみに「じゅうぶん」。この表記は充分なのか十分なのかいつも悩む。

確か学校では十分が正解だと習ったような気がするのだが、意味合い的には充分の方が通じるような気がする。

 

しかし考えるのも調べるのも面倒なので、ここはおとなしく平仮名の優しさに甘えることにする。

 

さて(二回目)、

「好きすぎてつらい」

つまり僕は今、こういう状況に立たされている。

 

自分で言うのもなんだが、そこそこ恋愛はしてきた方だし、経験値もその辺の30歳よりはあると自負している。

ただ、今現在結婚していないという残酷な現実がそこにあるだけだ。

 

結婚については特に焦っていない。

いや、あまりにも焦っていない自分に多少焦っている。なんなら親の方が焦っているようだ。

この感じは妙齢を過ぎた男女で、それなりに両親との交流がある人なら心に刺さるのではないだろうか。

 

親からの無言のプレッシャー。

もっともうちの場合はそのまま言葉で攻めてくるタイプなのだが。

父上、母上、このしょうもない、いや、どうしようもない息子を許して欲しい。

僕だっていつかは孫の顔くらい見せてやりたいとは思っている。

ただ、今はまだ時期ではないだけだ。

焦ってはいけない。

 

賢者は追い込まれた時ほど俯瞰して静かに思考を巡らすものである。

そんな偉そうなことをどこかの誰かが言っていたようないなかったような…。

まぁいい。

 

ちなみに僕は賢者ではない。

夜中に男のロマンを掻きむしった直後にほんの少し賢者タイムを味わう程度で、断じて賢者などではない。

 

賢者ではないが、賢者であることに憧れてはいる。

よく、馬鹿な高校生なんかが意味もなく天才に憧れて、「俺、努力とかしないけどそこそこ出来るんだよね」感を出すのを目にしたものだがそれに似ている。

 

賢者であることに憧れる。

故に賢者の真似事なんぞにハマったりもするのだ。

 

…何の話だっけか。

 

そうだ。

「好きすぎてつらい」

 

曖昧さ回避のためにはっきり申し上げておくが、LIKEではなくもちろんlove。

つまり恋愛感情のことを言っている。

 

皆さんはどれほどこの感情に振り回されただろうか?

実は僕はほとんど無い。

というより、そうならないように気をつけていた。

恋愛感情は思考を驚異的に鈍らせる。

実例は、、恥ずかしいのでやめておこう。

17歳の頃の僕なんかがまさにその実例とやらにドンピシャなのは間違いない。

 

社会人になって、たった1度だけ好きすぎてつらいというか、恋愛にハマってしまった事があった。

当時の彼女はメンヘラだった。

メンヘラはつらいぜ。

だがハマる。

いったいなんど彼女のメンヘラぶりに振り回されただろう。

だが意外とそれが楽しかったりする。

ジェットコースターやお化け屋敷はスリリングで楽しいが、そこで生活したいとは思うまい。つまりそういう事だ。

 

そんなこともあって、僕はメンヘラに夢中だったのだ。

早く別れなきゃと思いつつも、あの真っ赤な誘惑に負け続けていた。

自分を全く制御できない。

 

結局、見かねたいろんな人の助けを借りて彼女とはお別れすることになったのだが、

まさに今、再びあの地獄に相見えようとしているのだ。

 

恋というものは気がついたら落ちているものらしい

いきなりどうしたと言ったどころだが引かないで読んでほしい。

恋とは盲目、そしていつも突然なのだ。

昔、友人が恋を交通事故に例えていたが、言い得て妙だと、10年たった今改めて思う。

 

ハイパーイケメン厨二病アーティストのGACKT氏(僕は彼のファンだ)はこう言い残している。

「愛とは与えるもの、恋は堕ちるもの」だと。

どっかで聞いたような気もしないでもないが、GACKT氏クラスでないとシラフでこのセリフは吐けまい。

つまりこれはGACKT氏の言葉で良いのだ。

 

そんな交通事故に、どうやら僕は今、

「堕ちた」らしい。

 

唐突過ぎてどうしようもない交通事故。

行きつけの居酒屋でたまたまカウンターの隣に座った彼女に、僕は惚れたようなのだ。

曖昧な表現を使うのはいまいち僕自身確証を得ていないからなのだが、とにかく、僕は恋に落ちたらしい事だけは確かだといえよう。

 

「久しぶり!」

ナンパでよく見かける手口だが、決してナンパではない。

お互いになんとなく知っていたような気がして、視線を合わせたあとにこの言葉を発したのは紛れもなく僕の方だった。

 

「…ですよね?」

 

まぁ、結果から言うと全く何も共通点はなく、正真正銘初めましてだったのだたが。

見た目は美人だった。

芸能人に例えるなら誰だろう。

昔流行ったエビちゃんを、もう少し庶民派の美人に仕立て直したと言ったところか。

 

出身の高校と大学が同じなのだが歳は6つも下だった。

 

誤解を防ぐために明記しておくが、

おそらくひとめぼれではない。

僕のタイプの顔は乃木坂46の高山一実さんだ。

そして彼女はそこからはやや遠い位置にいた。

 

しかし酔っていたこともあり意気投合し、なんやかんやで3次会までもつれ込んだ。

ゆうに5時間は話していたのではないだろうか。

 

この時は特にこれといった恋愛感情は無く、ただただ楽しい飲み会だったのだ。

 

異変に気づいたのはその2日後。

…何かがおかしい。

頭が痛い。(二日酔いか)

胸も苦しい。(二日酔いか?)

なんだこれは。

 

実は奇跡的にとりとめていた意識の中で、その日のうちにLINEの交換をしていたのだ。

そして何度かやり取りをしていた。

 

たったそれだけなのだが。

 

わかる。

これはヤバイやつだ。

ハマる前のアレだ。

よく知っているやつ。

 

 

惚れていた。

助けてくれ。

 

僕自身、美人というものはもちろん好きだがタイプでなければどうということは無い。

そうどんなに高性能なモビルスーツでも、当たらなければどうということは無いのだ。

 

それにもう30だ。

美人にはそれなりに慣れている。

 

いったい何がまずかったのだろうか。

あれから1週間たった今も胸が張り裂けそうで辛い。

しかも片想い。

甘酢っぺーーー!!!笑

 

この感覚は高校生以来だ。

 

兎にも角にも、

僕は得体の知れないなにかの虜になってしまったらしい。

 

「好きすぎてつらい」の対処法はあるのか

対処法を求めるのは人類の英智の一つであろう。

問題が起こったらまずは解決へのプロセスを探る。

 

だが今回の問題はいつもと少し違う。

冒頭でも触れたが、人は恋に落ちると思考力を大幅に奪われるのだ。

今の僕はそんな状態である。

間違っても自動車の設計なんぞをやらせて良い人間ではない。

 

好きすぎてつらい。

 

恋愛なんてものは一時の脳の勘違いであると豪語していた大学時代の自分が懐かしい。

同じような苦しみを抱いている皆さんにはこんなふうに考えることを勧める。

 

確かに辛いのは辛い。

だが、この気持ちを味わわずに死ぬことが幸せであるとは到底思えない。

なぜなら、恋愛感情というものは、進化の過程で人類に与えられた才能というプログラムの一つだからだ。

 

人は幸せを感じるが、それは脳内物質ドーパミンが放出されることで感じるらしい。

ドーパミンについての詳しい説明は割愛するが、なにかを達成した時などに分泌されることが多いそうだ。

では今、ドーパミンは分泌されているのか。

 

なにかを達成したのか。

 

否。

まだ何も達成してなどいない。

というか、まだなにも始まっていない。

始まっていない恋が終わろうとしていることに辛さを覚えているのだ。

 

だがしかし。

それでも言おう。

僕は今、幸せであると。

 

この言いようのない感覚は、不快であると同時に新しい自分を開く扉の鍵になっている気がするのだ。

 

思えばこの10年間、メンヘラの子と交際していた時期を除いて、どこか自分で制御できる幸せを求めていた気がする。

果たしてそれは本物だろうか。

 

僕なんぞの陳腐な理性で抑え込まれた恋愛などあくまで僕の中だけの世界でしかない。

ところが今、完全に制御不能の恋というヤツに囚われている。

 

これは僕の新たな可能性の前に立たされているのではないだろうか。

可能性、あるいは不可能性。

(学生の頃に読んだ森見登美彦の小説にもそんな一節があった気がする)

 

何も出来ない自分がそこにいる。

この重大な事実に、多くの人は目を背ける。

僕だってそうだ。

なんでもできる気でいる。

もちろんなんでも出来ると思って取り組む方が楽しいし、活力も湧いてくる。

 

だが、何も出来ない自分がいることを知り、それを受け入れることで、実はさらに出来ることが増えるのではないだろうか。

 

無知の知、という言葉がある。

 

僕はまだその境地に立てるほど達観してはいないが、また一つ成長したのではないのだろうか?

 

そう考えると、成長というなにかを達成したことになる。

よって僕は今幸せなのだ。

 

 

などと理屈をこねくり回しては見たが、

結局のところ1人の女性に惚れてしまい途方に暮れているおっさんがここにいるだけである。

 

なのに気持ちは幸せだ。

これはドーパミンうんぬんではなく、

どうにもならない自分がいることが嬉しいのだ。

そして、

好きという感情はそれだけで幸せな気がする。

 

対処法として、

他の何かに没頭する。

確かにそれもいいのかもしれない。

 

だがそれは臭いものに蓋と同じだ。

 

せっかくだからこの幸せな感情に揺さぶられている自分をもっと観察してみようと思う。

 

何もまとまっていないが、今回考えていたことは概ねそんな感じだ。

 

 

終わらない。